このページでは、私がギターを始めた頃からの記録を綴ってみたいと思います。


◎1976年限りなく冬に近い晩秋の頃
次兄から「クラッシックギターを無料で教えたい。」(注釈:兄はC級講師の免状を持っています)と提案があり、クラスメートに声をかけました。
当時フォークギターを弾く人は学年を通してかなりおりました。
程なく習いたいという人が5人ほど集まりました(私を含めて・・・)。
ただ、私の動機は不純なのかもしれませんが、当時好きな異性がおりまして、
いつかその子の前でギターを弾いて聞かせてあげたいという気持ちで始めました。
私は元来人と同じことをするのが嫌い(いわゆるあまのじゃくですね。)でしたので、渡りに船でした。
当初、もちろん自分の楽器は無かったのですが、兄が出世払いということで3万円のギターを買い与えてくれました。

◎レッスン開始
私の場合、レッスン開始の前に予備レッスン期間がありました。
右手と左手それぞれ片方だけのレッスンです。
左手は1・2・3・4指を弦に乗せるだけの訓練、右指は開放弦を弾く訓練だったと思います。
レッスン開始の1週間前の課題として毎日やりました。
そしてレッスン開始の日・・・。
1週目の課題としてD.アグアドの単音によるエチュードとM.カルカッシの22のアルペジオからNo.1〜No.4までを与えられました。
2週目はA・カーノの有名なエチュードとM.カルカッシの22のアルペジオからNo.5〜No.11までをやったような気がします。
3週目にはN・コストのエチュードとM.カルカッシの22のアルペジオからNo.12〜No.17までだったような(はっきり覚えていません)・・・。
とにかく、ほぼ一月かけて初級の初級段階を終えました。

◎ステップアップ
この頃からギター音楽を寝るときに聴く習慣が身に付く。
フルオートストップのラジカセに密閉型のヘッドホンで、A.セゴビアやJ.ブリームのテープよく聞きました。
おかげで朝目が覚めたときには耳がペシャンコに・・・。この習慣は高校卒業まで続いた。
一方、レッスンの方は「禁じられた遊び」(愛のロマンス)
<注:この曲作者不詳とかスペイン民謡とかの記述よく見かけますが、ルビラという人が作曲した練習曲ですよ。>
を弾くべく、3連音の練習に入る。
前練習曲としてF.タレガのエチュード ホ短調を課題として与えられました。
この曲は最初のときの課題曲のようにはいかず、確か1ヶ月程度かかったように思います。
ギターを弾き出した高校時代、私は自慢ではないがテスト前の一夜漬け以外したことはありません(笑い・・・笑えない?)。
学校から帰って、当時は5〜6時間ほどギターを弾きました(毎日です)。
この頃私の左指は第2間接まで緑色に染まり(緑青です。)、指頭の皮も剥け放題でした。
ただ、左の親指の付け根が病みだしたのもこのころです。
恥ずかしながら、痛みで寝られない日が何日かありました(特に冷えるとしくしくと病みます。)。

◎下宿生活
私は高校2年より父の転勤に伴い下宿生活することになりました。
通学出来ない距離では無かったんですが、朝起きが人一倍苦手だった為、下宿することにしました。
この頃より細かなスケジュールと「ギター日記」なるものを書き出す。
ギターを一緒に始めた仲間も減り(何でだろう?)、自分一人の練習が殆どになった。
当時のギター日記より(抜粋)
1977年6月14日(火)
「二日ぶりの練習である。今日から練習量を増やしたわけであるが、これから先相当苦しい練習になりそうである。
最近、曲の方に進歩がないのでもう少し身を入れてやらなくてはいけない。ブーレ(J.S.バッハ〜リュート組曲第1番)はあとほんの少しである。
ソナチネ(N.パガニーニ)はあと半分。ビゼー(R.de.ビゼー)のサラバンド(組曲ニ短調〜)が3分の1、月光(F.ソル)が5分の4ほどである(筆者注―多分、暗譜状況でしょう。)。今日から課題曲のハバネラ(C.ヘンツェ)に取りかかった。この曲はリズムが複雑である。この前からの課題になっているAllegretto non troppo(M.カルカッシ)は、タイムが少しおかしい。早く仕上げるようにすべきである。
睡眠不足のせいかあんまり活気のない練習に終わってしまった。明日へ期待をかけて頑張るようにしよう。
『私のことば』○自分の好む練習ばかりしている者はそれより上へ行くことは出来ない。
◎これからの目標―スラーとリガードにまず慣れよ。」
この日記は、日記と言っても毎日付けられてはいません(本当は毎日付けるはずでした。)
内容も自分を戒め叱咤激励するためのものです。
1977年6月15日(水)
「今日の練習も進歩が見られない。日課練習も3の前半(筆者注―練習メニューはちょっと判りません)までしかやっていない。
だんだん何かが抜けていくような今日この頃である。次第にやる気というものが無くなってゆく。明日はやる気を蘇らせることができるだろうか?
とにかく明日の練習はサボるな!身体にむち打ってもやりとげよ!今日は時間の関係上簡単に終わらせておく。A.M.2:28:20秒」
1977年6月16日(木)
「日課練習は音階練習まで行かずに練習に入った。あしたはぴっとやらなければいけない。今日の特筆に値するものはブーレ(J.S.バッハ〜リュート組曲第1番)をほぼ完成したことである(筆者注―私は現在暗譜している曲は一曲もありませんし、過去に覚えた曲も全て忘れました。)。
身体が疲れているせいか眠いので今日はここで終わらせる。」

◎下宿時代のトラブル!!
私は下宿時代、ご飯時を覗いた全ての時間を練習に当てていました(当然テスト前以外は勉強したこと無いです。)。
下宿人で学生は私一人で、4人ほどの社会人と一緒に生活していました。
私は通常、時間を忘れて練習していましたので、ちょくちょく他の住人の方からお叱りをうけました。
とうとう大家さんからも「午後11時以降は音を出さないで・・・」と注意されてしまいました。
最初、11時以降は弱音器を付けて練習を再開しましたが、今度は私が納得がいかず、
とうとう夜歩きすることになりました(練習場所を探すためです)。
下宿から5分ほどの所に「中町公園」というところがあり、そこの街灯の下で楽譜を読みながら約1時間ほど練習した思い出があります。
但し、夏は虫まみれ、冬は雪まみれです(冬はさすがにあまり行きませんでしたが・・・)。